壹萬壹阡壹之本
QUAE SIT SAPIENTIA DISCE LEGENDO
2005.10.29 Saturday
「ハリスおばさんパリへ行く 」ポール ギャリコ
「ハリスおばさんパリへ行く 」ポール ギャリコ 、 Paul Gallico (亀山 龍樹 訳)
264 p ブッキング
ハリスおばさんは、ロンドンに住む、掃除婦さん。
その彼女が、ディオールのドレスに憧れた。
ドレスを買う決意をして・・・
西欧って、やっぱり、身分の格差が はっきりしているのかしら?
ディオールの受付嬢のご主人の出世が 口利きの有無で 変化するって事に@@
そんなことに@@する事ないんだけど。
ハリスさんは、ちょっとメリ-ポピンズ的。とっても魔法のような事は使わないけど。ナニーのようである。
それがいかにも イギリス的で。
ちょっと日本では想像できない。
で、ハリスさんは、挿絵では すごく年寄りっぽいけど、一体いくつなの?
2005.10.28 Friday
「「終戦日記」を読む」野坂 昭如
「「終戦日記」を読む」野坂 昭如
224 p NHK出版
目次
第1章 八月五日、広島
第2章 原爆投下とソ連参戦
第3章 空襲のさなかで
第4章 終戦前夜
第5章 八月十五日正午の記憶
第6章 遅すぎた神風
第7章 混乱の時代のはじまり
第8章 もう一つの「八月十五日」
第9章 インフレと飢えの中で
NHK人間講座「「終戦日記」を読む」のテキストをもとに単行本化。
山田風太郎、高見順、大仏次郎、永井荷風、渡辺一夫、徳川夢声、中野重治、海野十三、伊藤整らの日記から、あの日は彼らがどうしていたのか 終戦をどういう風に受け取っていたのかを読む。
皇居で、土下座している写真を確かに教科書で見た記憶がある。あれは ヤラセだったのかとちょっとショックだった。
確かに 日本人は、戦争も 災害も 同じように受け取っている気はする。
食べ物がなく大変だったとか、そういう時期も冷害と同じように受け取っているのか。
読んでいて、そういう時期が案外短期間だったのに驚く。
確かに、大地震の時も、台風での大災害でも、暴動は起きないし ちゃんと秩序が守られている。
アメリカとは大違いだ。
しかし いつまで、そういう日本でいられるんだろうか?
なんだか 今の事件とか見ていたら 考えられない事件も起きてきて、かつての日本では起きそうにないことが起きてきているし、大丈夫だろうかと心配になってくる。
考えたら、昔は 夏とか 窓を 開けっ放しで鍵なんかかけないで寝ても、 安心して眠れたはずだけど。
2005.10.26 Wednesday
「半島を出よ (上)」村上 龍
「半島を出よ (上)」村上 龍
430 p幻冬舎
目次
2010年12月14日 川崎 ブーメランの少年
2011年3月21日 平壌 朝鮮労働党三号庁舎・第一映写室
2011年3月3日 見逃された兆候
2011年3月19日 待ち受ける者たち
2011年4月1日 九人のコマンド
2011年4月2日 種のないパパイヤ
2011年4月2日 ゾンビの群れ
2011年4月2日 アントノフ2型輸送機
2011年4月2日 宣戦布告
2011年4月3日 封鎖
2011年4月3日 円卓の騎士たち
2011年4月4日 夜明け前
2011年4月5日 大濠公園にて
北朝鮮のコマンド9人が開幕戦の福岡ドームを武力占拠し、2時間後、複葉輸送機で484人の特殊部隊が来襲、市中心部を制圧した。
う〜ん、そうなるか。
イシハラはどうなったんだ?
上巻では活躍しないが。
これって、何日間のことだっけか?
とらわれた人たちが何日もとらわれているような感じだけど、まだ何日も経ってないはずだし〜
政府ももっと切れる奴は いないんか?
しかし、さすがに 長崎出身だけあって、方言は うまかね〜。
早く下巻ば まわって こんかいねぇ。
2005.10.22 Saturday
「鬼哭啾啾―「楽園」に帰還した私の家族」辛 淑玉
「鬼哭啾啾―「楽園」に帰還した私の家族」辛 淑玉
285 p 解放出版社
目次
第1章 離散家族の運命
第2章 「楽園」への帰還
第3章 私の旅(中朝国境の難民たち
難民たちが語る、北朝鮮という国)
第4章 百年の旅の終わり
今まで読んだ「無国籍」(台湾)「虚人魁人康芳夫」(中国)に比べて、もう一つ 同調(同情)出来ないなにかが潜む。
単に 北朝鮮出身のせいではなく本人の問題だと思うけど。
悲惨さを書いてあり、今までの無念さが書かれていて 悲痛な叫びなんだけど、ちょっと待ってよ。と思わせる文章なわけ。
何がそうかはわからないけど、文章が下手って言う事もあるかな。
?何がいいたいのかわからない事が・・・私の読解力がなさ過ぎなのかな。
友人に勧められたから読んだけど、はっきり言って面白くなかった。
2005.10.22 Saturday
「京都、唐紙屋長右衛門の手仕事」 千田 堅吉
「京都、唐紙屋長右衛門の手仕事」 千田 堅吉
205 p 日本放送出版協会
目次
序 唐紙の「雲母」に映る「日本」と「世界」
第1章 つくり手の目線、ものづくりの原点
第2章 唐紙の歴史と伝統
第3章 「しつらい」としての唐紙(
第4章 唐長今昔
あとがき
創業寛永元年。
京都で一軒だけ残った唐紙の老舗。京都で経った一軒つまりは全国でたった一軒ということ。
そこの十一代目の当主唐紙屋長右衛門の話。
まあ京都のへんくつもちょっと垣間見るような話だった。
しかし光と影の大切さ、それが生活のゆとりなのかもしれない。
今は のっぺらぼうの薄っぺらな時代なのかもしれないな、精神的にも生活も。
確かに、豊かなのに、彩りがなくなっていっている気がした。
ちょっと行ってみたくなった、こちらのサロン。
マ、うちには こんな高級品は使うことはありまへんけど。
⇒ gimon (04/26)
⇒ june (04/04)
⇒ ヤマボウシ (01/17)
⇒ juzji (01/15)
⇒ ヤマボウシ (12/26)
⇒ 時雨 (12/24)
⇒ えびすけ (12/19)
⇒ やぎっちょ (12/06)
⇒ ヤマボウシ (11/10)
⇒ くまま (11/01)